おがた林太郎個人ブログ

治大国若烹小鮮

25%

 温室効果ガス削減について、いつも思うことがあります。それは「もはや、1990年を基準年に考える必要はない。」ということです。今、我が国が出している25%削減も、1990年比での数字です。しかし、もう20年が過ぎ去らんとしている中、1990年を基準年とする根拠は皆無といっていいでしょう。


 そもそも、この1990年を基準年にすることでメリットを得るのはEUだけです。EUは旧共産圏の国を抱え込んでいるので、1990年を基準にすると旧共産圏の国の非効率な設備を前提とした排出量からの削減ということになります。ポーランド、東独・・・、非効率な二酸化炭素排出量の多い国があります。そこからの削減をクレジットとして取り込める内は、EUにとっては二酸化炭素削減は大したことではないわけです。EUは20%削減とか大きな目標を出しているように見えますが、これとてEU主要国には大した負担にはなりません。EUが8%削減をコミットした際、フランスの削減幅はゼロで、ポルトガルは40%の排出増が認められていました。その分の削減クレジットはすべて旧共産圏でした。EUというのはそういうところです。


 逆に日本は1990年段階で既に相当の省エネを実現していました。日本は二度の石油ショックを経て、かなりの省エネ体質になっていますから、1990年は既に「絞れる雑巾を絞り切った」状態でした。そう考えると、1990年が基準年になったこと自体が日本外交の敗北だったわけです。


 今や、アメリカが出している提案、中国が出している提案・・・、すべてが1990年を前提にしていません。日本だけが、変にEUに気を使ったり、京都議定書との連続性を重視したりして、1990年を基準年にしています。そんな損な事をする必要は全くないわけです。


 今、日本が例えば、2005年とか、2008年あたりを基準年にする動きを世界の潮流にすることができれば、現在の二酸化炭素削減に関する交渉は様相を全く異にするでしょう。EUは意地汚い人達の集まりですから激しく反対するでしょうが、それ以外の国を味方につけることができます。


 環境に関する国際交渉は、いわば「美人コンテスト」です。どうやって、一番自分を上手く売り込むかに尽きています。日本はこういうのが下手でした。逆にEUはそれにしか関心がありませんでした。そういう中、アメリカも、中国も、途上国もEUに対してはあまり良い思いを持っていません。だからこそ、1990年から2005年(あるいは2008年)への転換をしれーっと主張して国際社会を味方に付ける努力をすべきだと思うわけです。それは日本の国益に資するだけでなく、努力せずに良い顔だけしたがる輩への良いお仕置きになると思うわけです。