治大国若烹小鮮
「仕分け」に関与して思ったこと
仕分け調査においては、公益法人を150程度割り振られた班の世話人をやっておりました。徹底して裏方さんに徹したので、一切表には出てきませんでした。ただ、私は元官僚なので、色々な公益法人のウェブサイトを見ると大体「どの程度筋が悪いか」というのは分かります。なので、同僚議員各位にはそういう視点からの示唆を行っていました。
具体的にどういう法人を見ていったのかを書きたいのですが、あまりやりすぎると当該法人に迷惑を掛けるので書きません。非常に感じたのは、最近は露骨に補助金や交付金で怪しいことをやっている法人は減ってきている代わりに、規制や権限を付与することでカネ稼ぎをしている法人は全然減っていないということです。
経済学用語で言うと、規制のレント(不労所得)を独占しているということなのですが、こういう法人の人達は平気で「国費は入っていない組織ですから(、あなた方に色々突っ込まれる筋合いのものではない。)」と言います。「いやいや、国費は入ってないし、たしかにあなた方に切り込んだところで国家財政という観点からはムダの切りつめにはならないけど、社会全体の効率性を著しく損なっているでしょ。」と思ったりするわけです。これは先のエントリーでも書いたところです。
まあ、本当にそういう公共セクターに巣くい、そして、それを疑問に思わない人ってのはいるもんですね。その中で屁理屈の中によく出てくるものが幾つかあります。その中でも多いのは「かつて存在していたけれども、今は存在していない必要性を殊更に強調する」ということです。当たり前のことですが、世は移ろいます。しかし、役所の論理、特に組織防衛に関しては、時はあまり移ろいません。かつて、最善かつ不可欠の選択として作った組織は、後世永遠に最善かつ不可欠だという前提に立った主張を何度か見掛けました。「前例」に捕らわれるお役所は、先人の作った論理の積み上げを崩すことに慎重になるあまり、気が付けば時代に取り残されているということです。
ただ、この事業仕分けをやりながら、自分で痛感したことがあります。我々国会議員は既得権益にすがってないだろうか、ということです。国会議員は役所に対して強く出ます。見ていて痛々しいくらいエラそうにしている議員は何処の政党にもいるものでして、いつも慨嘆しています。そういう中、本当に我々は役所に倫理観高く接することが出来ているだろうかと自問自答します。お役所に身を切ることを言うからには、自分が既得権益に汲々としてはいけない、そうでなければ我々の声は真の意味でお役所には重くのし掛からないと思います。
国会議員には色々な特権的なものがあります。その大半は、昔の東京の住宅事情であったり、交通事情だったりに鑑みれば正当化されたものです。しかし、今となっては私が議員活動をする上で「そんなものは要らん」と思えるものが結構あります。あまりヒロイズムに陥るつもりもないので具体例は挙げませんが、私は幾つかの権利を全く行使せずに普通に議員活動が出来ています(不十分かもしれませんが)。議員定数削減も然りでしょう。「削減」に怯んだら、逆に次の選挙では勝てないと自分自身に任じています。自分に周囲にある既得権益に切り込んでいくことが先決だと言える自分でありたい、いつもそう思っています。