おがた林太郎個人ブログ

治大国若烹小鮮

お受験における「先取り」

 ひょんなことからAERAを読んでいたら、某超有名進学女子校のことが取り上げてありました。「塾通い」に追われる毎日みたいな感じだったと思います。ストレスが積み重なったり、金銭的な負担が大きかったり、という感じのトーンでした。


 実は昔、そういう塾で講師のアルバイトをしていたことがあります。あまり乗り気はしなかったのですが、アルバイト料の良さに、福岡から出てきたばかりの緒方青年は釣られてしまいました。生徒はすべて東京の有名進学校の中学1年生。中学校に合格したばかりで意気揚々、元気のいい一年生達でした。使っているテキストは難しかったですね。中学校1年生の間に、普通の中学校3年生までの内容をすべて教え込むという感じでした。その塾では、高校1年生までに一通り高校3年生までの内容を終え、そこからは受験に向けてまっしぐらでした。


 私自身は、幼稚園以外はすべて公立の学校だったので、そういうカリキュラムを経験したことがなく、「へー、東京ではこんなに先取りしてやるんだ。」と同情していました。もっと言えば「そんなことしなくても、大学受験くらいなら合格できるんだけどねぇ。」と思いました。将来受けるであろう授業を先取りするだけであれば、あまり意味がないんです。仮にその塾で、高校3年生では大学受験のレベルを超えて教えているというのであれば、それはそれで別の価値があるわけですが、そういうことでもありません。となると、単に先取りするだけみたいなところがあって、それは普通の公立高校できちんと高校3年生までペースを維持して勉強していけばいずれは追いつけます。


 あえて、そういう先取りに価値があるとすれば、自分が将来達成しなくてはならない目標を早めに見極めることができるということはあります。それについては、私もやっていました。高校2年生の時に、高校3年の模擬試験を受けてみて、「ああ、自分はこれくらいの所にいるのか。あと、これくらいの伸びがあればいいのか。」と思ったことはありました。そういう目安を持つことは、それなりに意味があります。


 いずれにせよ、自分自身でそういう「先取りしてやろう」という動機を持つようにならないうちは、どんなに先取り、詰め込みをやっても限界が来ます。仮に大学受験には成功しても、そこが人生の頂点になるだけです。東京大学で「18歳の春が人生の最高到達点だった」みたいな人を相当数見た私が言うのですから間違いありません。それではダメなんですね。


 受験競争が熾烈を極めるのは別に悪いことではありません。世の中はそんなものです。しかし、だからといって何でも先取りすればいいというものでもありません。適度なペースというものがあるのですね。