治大国若烹小鮮
質問主意書(その5)
今回、掲載する「(当選直後に作成した)質問主意書」は相当に説明が必要です。まずは私の書いた質問(案)をそのまま掲載します。「戦没者追悼に関する質問主意書」です。
【質問(案)】
平成十七年十月二十五日付「衆議院議員野田佳彦君提出「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問」に対する答弁において、以下のような答弁がある。
「靖国神社に内閣総理大臣が参拝することにいかなる問題があるかとのお尋ねについては、法的な観点から申し上げれば、かねて述べているとおり、内閣総理大臣の地位にある者であっても、私人の立場で靖国神社に参拝することは憲法との関係で問題を生じることはないと考える。また、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝(内閣総理大臣が公的な資格で行う靖国神社への参拝をいう。)についても、国民や遺族の多くが、靖国神社を我が国における戦没者追悼の中心的施設であるとし、靖国神社において国を代表する立場にある者が追悼を行うことを望んでいるという事情を踏まえて、専ら戦没者の追悼という宗教とは関係のない目的で行うものであり、かつ、その際、追悼を目的とする参拝であることを公にするとともに、神道儀式によることなく追悼行為としてふさわしい方式によって追悼の意を表することによって、宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合には、憲法第二十条第三項の禁じる国の宗教的活動に当たることはないと考える。」
この答弁に関し、以下のとおり質問する。
一. この答弁は総理の参拝行為が公的なものか、私的なものかに分類しうることを前提にしている。二〇〇一年八月十三日、二〇〇二年四月二十一日、二〇〇三年一月十四日、二〇〇四年一月一日、二〇〇五年十月十七日に行われた小泉内閣総理大臣によるそれぞれの参拝は公式、私的いずれの参拝か、それぞれの参拝について回答されたい。また、公私の差を見極めるための基準を提示願いたい。
二. 仮に五回の参拝のうち、公的な参拝と位置付けられるものがある場合、それらは憲法第二十条第三項の禁じる国の宗教的活動に当たっていたのか。
三. 政府は、「戦没者の追悼」そのものは宗教性を一切有しないと考えているのか、それとも、「戦没者の追悼」が一定の要件を具備した結果、宗教性を有さないことがあると考えているのか。宗教法人である靖国神社の中で行われる「戦没者の追悼」には宗教性はないのか。
四. 「追悼を目的とする参拝であることを公にするとともに、神道儀式によることなく追悼行為としてふさわしい方式によって追悼の意を表すること」とすれば、たとえ、参拝する宗教法人の存在そのものが宗教性を帯びたものであったとしても、戦没者の追悼そのものが宗教とは関係ないという推定を以て、その参拝自体は宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかになるのか。
【終】
なんで、こんな問を考えたかというと、実はこの質問のやり取りは小泉総理の最後の靖国訪問の直後になされています。そして、野田現財務大臣への答弁書を受けて、何故か当時のマスコミはすべて「政府、小泉総理の靖国参拝は合憲と答弁」と報じまくったのです。
しかし、引用している答弁をよく読んでみてください。何処にもそんなことは書いてなくて、あくまでも一般論を書いたら、マスコミが一方的に錯誤を起こしただけなのです。私の記憶の中で、それがとても糞詰まりのようになっていて、マスコミが先走った当時の報道と答弁書の間をいつか埋めたいと思っていたことが原点にあります。それが問の一.と二.です。
問の三.と四.については、この答弁書を読んで率直に湧き出てきた疑問点です。これは「宗教」をどのように捉えるかということですね。非常にアカデミックな質問のようにも見えますが、それなりに現代性のある問題点ではあると思っています。
なお、私は総理大臣や閣僚による宗教法人への公的な参拝には反対です。日本国民は宗教への距離感を自由に決めることが出来るべきであり、宗教法人と一切関わりを持ちたくないという人の自由を保障すべきだというところから発想はスタートしています。国の指導的立場にある人、特に内閣総理大臣は、そういう日本人の持つ信教の自由を守るためにも、厳格なまでの政教分離を貫くべきであるということです。
最後に誤解がないように一言。私は靖国神社によく行きます。そして、そこに眠る英霊に平和への永遠の誓いを述べます。私のこの微妙な感情、ご理解ください。