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「25%」の落とし所
二酸化炭素の排出量の25%削減について、最近、私が考えているアイデアをちょっとここで説明したいと思います。別に何処かで合意が得られたものではないのですが、最終的にはこれくらいのところで纏める事が良いのではないかと思っているところです。若干、テクニカルかつ迂遠な論理構成ですのでご容赦ください。
● 二酸化炭素削減の基準年を1990年からもっと最近に持ってくる
今、日本は二酸化炭素削減の基準年を1990年に置いています。そこから25%削減という約束をしています。1990年というのは京都議定書の基準年です。しかし、実は世界的にはこの「1990年のルール」はもう古くなりつつあります。これに乗っているのは日本とEUだけです。EUが何故このゲームに乗っているかというと、かつて共産主義で、現在EU加盟の国が崩壊した後の非効率な施設からの削減をカウントできるからです。EU的には1990年からの削減幅が一番大きく設定できるわけです。
しかし、今は2010年です。もう「1990年のルール」に従う理由は全くありません。アメリカ、中国等はもう「1990年のルール」なんて全く念頭にありません。1990年以降、排出量が増えた日本にとっても得するところは全くありません。
ここで基準年を例えば「2010年(の削減量)」にすることで、国際交渉を引っ張っていくことはできると思います。それに反対するのはEUだけでしょう。成長著しい途上国は、少なくとも「1990年のルール」よりは乗りやすいはずです。
そして、「2010年のルール」で合意を取り付けることができれば、EUがコミットしてくる削減幅は下がるはずです。それに呼応するように、日本も「国際的なコミットメント(ここは強調しておきます)」のレベルでは削減幅を下げることができるはずです。しかも、そのルールで途上国が乗ってきやすいのであれば、全世界的には大きな前進だと思います。
ここまでだと「なんだ、緒方は1990年比25%削減を取り下げるのか。つまらんヤツだ。」と言われるでしょう。しかし、そこは違います。
● 「25%」は日本独自の削減コミットメントにする
日本は鳩山総理が掲げた「25%」を国際条約上のコミットメントではなく、自主コミットメントにするようにすればいいと思います。
実は気候変動枠組み条約では「何が二酸化炭素の削減か?」ということについても厳格なルールがあります。日本が「これは削減幅に入れてほしい」と言っても、気候変動枠組み条約上の基準にはまらなければ削減幅にカウントされないのです。例えば、国際協力で外国で二酸化炭素を削減しても、国連の「クリーン開発メカニズム」に乗ってこなければ、日本の削減にカウントされません。
ということで、「1990年比25%削減」については、日本独自のコミットメントにしてしまってはどうかということです。これは何かというと「日本として『削減した』と思うものを、日本の判断で削減幅に入れて計算する」ということです。これは今のアメリカ、中国、インドのやり方に近いです。国際協力で削減できたものがあれば、別に「クリーン開発メカニズム」を経由しなくても、日本の判断で削減とカウントしてしまうということになります。
勿論、日本としての削減幅の計算の段階で独善的になってはいけませんが、国連の縛りを少しかいくぐらないと、日本の努力が正当に評価されないような気がするのも事実です。
国際的なコミットメントを下げるための仕掛けをしつつ、しかし、「25%」の旗は降ろさずにしっかりと努力を継続していく。これが一番いいのではないかと思います。これだと、いつも環境分野で良い顔だけしようとするEUにも重しが乗ることになります。
この私の身勝手な構想、簡単には実現しないでしょうが、一番収まりがいいと思います。どう思われますか。異論、反論大歓迎です。