「今だけ良ければ」、
「自分だけ良ければ」
ではない世の中を目指す

今、日本の行く末に不安をお持ちの方は増えています。理由は分からないけども、何処か上手く行っていないのではないかというのは、実感としてあるでしょう。

私は2つの大きな原因があると思っています。それは「人口減」と「国の借金増」です。日本が抱えるすべての問題は、間違いなく、この2つに起因しています。この2つがそのまま進めば、国民一人当たりの借金は雪だるま式に増えていき、日本が崩壊していきます。この2つの課題にどう直面するかは、すべての政治家に問われます。

私は明確に申し上げたい、「耳当たりのいい政策だけでは日本の抱える課題を克服できない。」と。今、耳当たりのいいことだけを公言する政治家の発言には必ず嘘が含まれています。そういう易きに流れる迎合を絶対にしないというのが私の理想です。

例えば、今、年金のお支払いを国は借金で賄っています。こんな事が長続きするはずがありません。今、行っている国の政策を全面的に見直して支出を抑える事、国民の皆さまに応分の負担を求める事、人口減を食い止めるための措置を取る事、どれも簡単なものではありません。しかし、勇気をもって私はそれらの策を訴えていきます。

しかし、日本には
夢と希望がある。

私はかつて外国に居る時、自分が日本人であることを誇らしく思っていました。「私は日本人です。」と自己紹介する時、胸を張る気持ちと一緒でした。私は、その思いを次の世代、次の次の世代にも共有してほしいと願っています。

そして、日本は世界に冠たる強い国だという事も常に感じてきました。第二次世界大戦から70余年、経済、文化、世界への影響力、すべてにおいてこの日本の歩みは素晴らしいものであり、先人に対する尊敬の念を持っています。

すべての人に
チャンスのある世の中を。

私の父は、新日鉄八幡製鐵所に勤めていました。父はお金がなかったため大学に進むことができなかったと話していました。

そんな私が両親に感謝すること。それは「心おきなく大学に出してくれたこと」です。当時、子供が1人、東京の大学に出ると年間200万円くらい掛かりました。鉄冷えの中、出向、転籍を通じて既に年収が減り始めていた家庭には決して軽いものではありませんでした。子供が大学に行く費用を捻出した結果、一戸建てを買うための頭金が出せなかった両親の住まいは今でも持ち家ではありません。

私は高校3年生の頃、両親に「貸与じゃなくて給付の奨学金取ろうか?」と話したことがあります。当時の成績なら、給付奨学金を頂ける可能性がありました。しかし、父は「そんな余計なことはしなくていい。そういうものはもっともっと必要な人がいるのだから、そのチャンスを奪ってはいけない。」と静かに答えました。今でも忘れられない一言です。

だからこそ、私は思います、「金銭的な理由で学業を諦めるような世の中にしない。チャンスはすべての人に平等に与えられるべき。その役割は政治にある。」と。